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NO.005 当院の電子カルテ事情長野医報2013.4月号掲載より
NO.004 睡眠時無呼吸検査実地研修に参加
NO.003 丸田公雄 教授について
NO.002 DDW Japan1999 in HIROSHIMA
NO.001 第32回甲状腺外科研究会に参加して



NO.001
  第32回甲状腺外科研究会に参加して
 10月28、29日愛知県ガンセンターにおいて甲状腺外科研究会が盛況に開催された。
 甲状腺外科研究会の歴史は、信州大学第2外科初代教授であった丸田公雄先生 (私の祖父)が甲状腺外科がまだ世に知られていない頃、皆で甲状腺に対する知識を広めていこうと考えて、甲状腺外科検討会として発足したそうです。それから32年が経過し、甲状腺外科はかなりメジャー?になり、ここ数年は内視鏡下手術が取り入れられて来ました。
 今回の学会では、会長の愛知県ガンセンターの松浦先生がビデオシンポで我々若い医師に「メスによる甲状腺手術はこうするべきだ」と御口演され、2日目のビデオシンポでは最新の内視鏡下甲状腺切除術を複数の病院から発表され、大いに向学心をかき立てられる学会でした。



NO.002
  DDW Japan1999 in HIROSHIMA
挿入
学会での発表風景
何を血迷ったか今年の消化器病学会に演題を出してしまった。学会場が広島と、まだ行った事がないから発表しがてら観光も、などとふらちな考えで応募してしまった。

甲状腺外科が終わるとその足で名古屋駅から新幹線に乗り、我が病院のもう一人の外科医、平栗先生(信州大学第2外科から赴任)と岐阜羽島駅で待ち合わせて缶ビール、焼酎を飲みながらいろいろ期待をしながら広島の地に向かった。到着するやいなや第2外科の先輩、同期、後輩総勢6名で朝の5時!?まで症例検討会をしてしまった。翌日は学会場に向い受付を済ませ、発表する会場の下見も充分??して原爆資料館へ行てみた。
平栗先生と原爆ドームをバックに 
資料館に一歩踏み込むと、見学者のため息とナレーションが聞こえてくるだけだった。広島市民球場、学会場、相生橋などが今あるこの場所に、原爆は投下された。暑い夏の日に、通学途中の学生や出勤したばかりのサラリーマンやその後ろ姿を見送った妻や小さな子供の命が一瞬にして灰と化した。展示されてあるもの全てに命、魂が感じられた。

一番胸を打たれたのは1才6ヶ月の女の子の焼けたピンクのワンピースであった。解説によると母親と一緒に、父親か親戚の見送りに駅に来ていて原爆にあったそうだ。その夜、祖父母の看病空しく命を落とされた。自分にも4才ともうすぐ2才になる子供がいるが、そのワンピースを見ていた時、我が子とその女の子が同一のごとく感じ、胸が熱くなってしまった。

30数万人の一般市民が命を落とした原爆。8月15日の朝、被災者の方達は、今日の飯はうまかったなあとか、明日は久しぶりに愛しい人に会えるなどと思っていたんだろうなあ。残されたご遺族、今でも苦しんで闘病生活をしている被災者の方の心中察すると、何かいたたまれなくなる。そばに居る人を大切に、患者さんには一日でも早く良くなってもらうように日々の診療に頑張ろうと考えさせられた。
 
学会の本番は何と日曜日のそれも午後のセッションである!!。長野県からは中央道、新幹線に乗り約4時間の長旅である。発表翌日が休みであれば問題ないが、翌日は月曜日まして昼から手術を入れてしまった!!。発表は気もそぞろ新幹線に乗る前に病院の皆にお土産を買わなくてはいけない。お土産がないと何処に行ったか疑われる!? 広島名物のはんぺん、阿藻珍味という会社のものを沢山買って帰路についた。 

発表は無事終了、原爆資料館は充分見学もした。原爆ドームも見た。広島のお好み焼きも2回食した。欲を言えばきりがないが、有名な宮島、因島、しまなみ海道へは行けなかった。広島は家族や病院の旅行などでぜひ立ち寄りたい場所である事に間違いは無いだろう
平栗先生の発表風景