大正12年、前澤 等が長野県上伊那郡赤穂村(現在の駒ケ根市)に前澤医院(現在地)を開院した。開院した場所は江戸時代には三州街道(現在の国道153号線)が整備され宿場町として赤須上穂(あかずうわぶ)宿が栄え、赤穂村役場(現在の駒ケ根郷土館)や郵便局、銀行などが集まる村の経済の中心地だった。当時は馬車などで往診に向かったそうである。昭和25年、病に倒れ53歳という若さで亡くなった。二代目である前澤 潭は医学生であったため、信州大学医学部草間内科の応援を仰ぎ医院を継続した。潭は卒業後、信州大学医学部丸田外科へ入局し、外科学の道で研鑚を積み甲状腺の研究で医学博士となり、昭和33年医療法人公仁会を設立し50床のベッドを持つ病院とした。その後、丸田外科から医師の応援を仰ぎ、一日に3例の胃潰瘍手術を行うこともあり、駒ケ根市唯一の公立病院(昭和伊南病院)より年間手術件数を上回る病院へと発展させた。昭和60年、病に倒れ58歳で亡くなった。奇しくも三代目(現理事長)である前澤 毅も医学生であり、従兄弟(当時:東京大学医学部脳神経外科医)や叔父(当時:信州大学医学部神経内科医)、信州大学第二外科(旧丸田外科)医師らの応援により病院を存続、卒後後は信州大学第二外科へ入局した。
丸田外科は全国でも甲状腺外科で有名であり、丸田公雄教授は三代目、毅の母方の祖父である。毅は消化器外科、甲状腺外科に興味を持っていたが、祖父や二代目の影響を受け甲状腺外科医となった。大学病院や研修病院で研鑚を積み多岐に及ぶ専門医(前澤 毅のページ参照)を取得し、平成7年に医療法人公仁会理事長・病院長に就任した。甲状腺疾患を中心に乳癌、消化器がんなどの外科手術以外に睡眠時無呼吸症候群に力を入れている。近年は下肢静脈瘤において下肢静脈瘤血管内治療実施管理委員会認定実施医や血管内塞栓療法であるVenaSealクロージャーシステム(下肢静脈瘤の血管内塞栓術)トレーニング修了認定医を取得し下肢静脈瘤に対する血管内治療実施施設として認定され、長野県南信地域から多くの患者が集まる病院とした。
令和4年11月1日、創立100年を迎え、病院からクリニック(無床診療所)へ転換を図り、在宅患者への訪問診療や日帰り手術に力を注いでいる。また信州大学医学部(循環器内科医、脳神経内科医、消化器外科医、呼吸器外科医)医師が院長とともに診療をしており、地域に欠かせない医療機関となっている。伊那谷地域の中核病院である伊那中央病院、昭和伊南病院と病診連携を行っており、また地域の複数の診療所と機能強化型在宅療養支援診療所として、患者に隙間のない医療を提供できる体制を取っている。